清龍寺不動院とは

平安時代の初期、天長7年(西暦830年)慈覚大師円仁により、この地に創建されました。
現在は真言宗のお寺です。

神瀧山清龍寺不動院のご案内

1、神瀧山清龍寺不動院縁起
平安時代の初期、天長7年(西紀830)慈覚大師円仁によりこの地に創建されました。
山号を神瀧山、寺号を清龍寺不動院と称しますが、そのいわれは当山の中腹の泉に霊水が湧き出て、清涼の気があたりに立ち込め、泉の水面に龍体を拝し、水面から浮かび上がる不動明王のみしるしであるカンマンの字を示されたので、
2、全国から修行者が來山される護摩行の特長
『目に見えぬ神の心にふれながら、願いを叶える神秘の護摩行』
と称されていますように修行者が護摩の導師と同じく結界内の礼盤に上がり、燃え上がる護摩の火の中にご降臨下された不動明王様に修行者自身が両手で直接触れ、神々の神秘のパワーを頂くと共に、自分の願いを届ける護摩行は全国でも類がなく、奇跡体験が行われています。
3、瀧行(湧き出る霊水による神秘の瀧行)
慈覚大師が当山中腹に湧き出る泉に龍体と不動明王のみしるしが浮かび上がるのを見たと伝えられている泉が現在の瀧行場に流れている龍神の池です。
瀧行の際は瀧行場の頭上に鎮座下されている不動明王さまと龍神さまが修行者にパワーを授けて下さるので、諸々の悩みや苦しみがすべて聖水に洗い流されて、新たなる命を授かった心地を会得されている神秘の瀧行場です。
4、日露戦争勝利の祈願に応えた神々
国力、兵力が日本の10倍のロシア帝国との日露戦争を決定した桂太郎総理大臣、戦争の命運を決するロシアとの激戦地、旅順戦の指揮をされる乃木将軍、日本の命運を担う二人が勝利祈願の瀧行をされていた行場です。

清龍寺不動院ご本尊の不動明王様とは如何なる神か

広大なる宇宙の中心には宇宙の全てをお創りになられた大宇宙根元(こんげん)の御祖(みおや)であらせられる大元の神で、天地創造の偉大なる神が存在されます。この神のことを日本では天之御中主神(アメノミナカヌシの神)とか、大日如来さまと呼び海外ではアラーの神とも呼ばれています。

この天地創造の神は今から約46億年前に広大なる宇宙の中に、唯一人類の住める星として地球を御創りになられました。
地球だけでは人類は生きて行けないので、エネルギー源として永遠に燃え続ける太陽も御創りになり、太陽に地球が接近し過ぎれば全てが太陽の熱により死滅しますので、絶妙なるバランスを持って引力としての月も御創りになられ、その後46億年という長い時間をかけて人類が永遠に地球上に生きて行ける環境を御創りになられた後、頃合いを見てあなたの先祖である人類を地球上に誕生させられました。よって、人類をもお創りになられたこの神様から見れば、あなた様は自分の愛する子供である《神の子》なのです。

また、『不動明王様』とは、この天地創造の神が地球上に創られた人類の子孫である神の子のあなた様が、この世を生きて行かれる中で苦しいときや辛いときもあるであろう、力を頂きたい時や願いを叶えたい時もあるであろう、そのような時に『幸せになれよ』とあなた様の力になるようにとの思いで天地創造の神がご自身の化身として地上に遣わされている偉大なる神が八百万の神々の頂点にあらせられる大日大聖不動明王様であります。

よって、地上にご降臨下された不動明王様はすべての人々をいつも如何なる時もご照覧下されて、いつも人々の幸せを願って下されている偉大なる神様です。

あなたの願いを叶えて下さる当山のご神仏

★不動明王さま(本堂内御鎮座)
★観世音菩薩様(本堂内、境内御鎮座)
★龍神様(本堂内、龍神の瀧行場御鎮座)
万物を育み、慈しみの心でこの大宇宙を守護いただき、生命の源となっている神様です。境内の龍神池の瀧行場にご降臨下され瀧行者にパワーを授けて下されています。

★猿田彦の神(境内のほこらに御鎮座・庫裡の神殿に御鎮座)
天孫降臨の際に、天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が宮崎県の高千穂に降り立った際に、御案内した地上の神様が猿田彦の神でした。
このことから進むべき道を切り開いて下さる「道開きの神様」として信仰されています。

★天宇受賣命 あめのうずめのみこと (猿田彦の神の横に御鎮座)
猿田彦の神の妻であり「猿女君(さるめのきみ)」と呼ばれ
天照大神が天岩戸に身を隠され世界が闇につつまれた時、天宇受賣命は神楽を舞って天照大神が何ごとかと顔を出されるキッカケを作ったことから「芸能の神様」として信仰されています。
★水掛不動尊(境内御鎮座)
お水をかけてお参りします。石像に水を掛ける事によりご自身の身を浄める事になります。
お水をお供えものとして不動明王さまに掛け、心からお祈りすることで、様々な願いに応えて下さいます。

★開運洞窟(境内)
★正一位白菊稲荷大明神(洞窟内外に御鎮座)

★寿栄大権現~長寿・繁栄の神~(洞窟出口前に御鎮座)
人々が健康で長寿となり、めでたきことが長く続き、衆生が栄えることを願って寿栄大権現として現れて下された菩薩さまです。

★水神さま~水をつかさどる神様~(洞窟上に御鎮座)
稲作文化の日本では、水の状況によって収穫が左右されることから、かんばつの時は行者により雨乞いの儀式が行われました。

家康公ご守護神と大本山清龍寺不動院
恩義を感じた家康公は後に、同じ白子の地名のある、埼玉県和光市の白子一帯を領地として与えた。この地にある名刹の清龍寺不動院を、伊賀忍者は出城として、江戸城の警護に日々出仕していた。
また不動院の法主は家康公より多大な石高を下付され、伊賀忍者の監督を行っていた。
このような関係で、家康公の生前の命により、二代将軍の秀忠公が当寺院に家康公のご守護神を祀り、以来約390余年の間、歴代住職により日々の灯明を欠かさずお祀りされている。
(現在の皇居の主要な門の一つである半蔵門は、伊賀忍者の頭領、服部半蔵の名残である)

戦乱に終止符のご守護神

*壱千二百年祭記念事業ご協賛のお願い*

ご協賛各位様         

                           大本山神瀧山清龍寺不動院
                           第五十五世法主 瀧澤猛龍



*壱千二百年祭記念事業ご協賛のお願い*

お願いの趣旨をご照覧下さいまして、ご協賛下さいます御方には感謝を込め御芳名・御協賛金額・住所・略歴・等を刻印し、当山に永代に祀らせて頂きます。

さて、神瀧山清龍寺不動院は平安時代の初期、淳和天皇の天長七年(西紀830)に慈覚大師円仁によって創建せられ、ご本尊さまとして大日大聖不動明王を祭祀せられて以来、やがて記念すべき壱千二百年を迎えんとしています。

この長い歴史の中で当山ご本尊の不動明王さまは、日本人どうしが戦をする長い戦乱の時代に終止符を打つ天下分け目の関ヶ原の戦いにおいて一瞬にパワーを発揮し長い戦乱の時代に終止符を打って下され、その時、徳川家康公が首にかけ祈願しておられた守護神の不動明王様が、葵のご紋が扉に描かれた厨子に納められ、二代将軍秀忠公により当山に遷座されて以来、今日に至るまで当山本堂に祀られています。

また、近年では今から110数年前の明治時代に日本が当時世界最強の大国、ロシア帝国と戦争を行った日露戦争では、当時のロシア帝国は戦力・国力共に日本の10倍と言われた大国ロシアとの戦争を決めた総理大臣の桂太郎・戦争の命運を決するとされたロシアとの激戦地、中国の旅順要塞攻囲戦の指揮官として出陣される乃木希典将軍、日本の命運を担う責任者の方々が当山に籠りご本尊の不動明王様に日本の勝利を願い必死の思いで祈願されていたのが当山のご本尊さまであり、ご本尊の大日大聖不動明王様は、お二人に大いなるお力をお授け下されたと今に至るまでも伝えられています。

当山はこのような日本の歴史にも関わって参りました古刹ではありますが、当山は日本でも珍しく寺院を支えて下さる檀家さんを一切有しない祈祷寺院としてご神仏様に祈り、その願いを叶えて下さるべくご神仏様にパワーを降ろして頂く祈りの寺院として今日に至っております。

従いまして、何を行うにも一般の寺院のような檀家さんからのサポートもなく、関係僧侶全員がボランティアとしてお仕え致しておりますが、記念すべき1200年祭を近くに控え、今や不動明王様を初めとする数多くのご神仏様がご鎮座下されております古びた本堂も、ご神仏さまには不自由な思いをおかけ致しているところで御座います。よってご神仏様にお仕えさせて頂いております私共関係者一同と致しましては、この機会に是非にも新たなる屋根の付け替えや本堂を初めとする建物の補修をさせて頂き、ご神仏さまが祈祷寺院として安んじてご神徳を発揮下さいますよう、有志ある全国の皆様にこの状況をご賢察賜りまして暖かいご協賛を賜りますようお願い申し上げ奉る次第でございます。

尚、ご協賛をお願いする目的の完成には多額の費用を要しますことから誠に恐縮ながら願わくは下記のように希望させて頂き度く,何卒よろしくお願い申し上げます。



(記)

1、 御協賛金額 一口50万円。 

一口以上ご協賛下さる方には御芳名・協賛金額・住所・略歴等を刻印し、当山に永代に祀らせて頂きます。

2、 御協賛方法 当山へご連絡を賜りましたら、御協賛者

名に刻印すべき内容をご記入頂く欄や当山指定の口座等を明記致しました振り込みに必要な説明書をお送りさせて頂きます。

3、 お問い合わせは、当山事務局,電話048‐461‐2116

までよろしくお願い申し上げます。